「サーチャー」酒井美里のできるまで~その4

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1995年の8月に、調査子会社に出向。
最初はサーチャーが5人ほどだったかな(他にも事務の方などがいらっしゃいました)。

仕事はコンスタントに流れておりましたが
「○月○日、×時から役員会だ!!」と、目を吊り上げてパワポ作り・・・みたいな事はなく、
数ヶ月は心穏やかな日が続きました。



心と身体は連動する、と言いましょうか。


出向して3ヶ月も経たないうちに、妊娠発覚!(え、えええーー!?)
・・・たぶん、強烈なストレスから解放されて、健康になったのだと思います。


あまりにも出向した矢先すぎて、
上司にも言いにくかったのですが・・・勇気を振り絞って報告。
予想外にも 「良かったねぇ!」 と祝福してもらい、へなへなと力が抜けました。



妊娠中は、出産直前まで 「食べられないつわり」 に悩まされたものの、
これといってトラブルなく、翌96年に女子出産。
(現在は「外見はお母さん、内面はお父さん似」の女子高校生%帰宅部に成長)


さて・・・妊娠中、うっすら(?)と気付いていたこと。

当初から「出産したら、産休をとって職場復帰しよう」 と思っていたのですがね、


「たぶん、保育園は迎えの時間が決まっているし、園で風邪などを貰ってくることもあるから、今までみたいな仕事はできないんだろうなぁ。」 と、漠然と想像はしていたのですよ・・・


実際に1年間の育児休暇後、職場に復帰してみたら

やっぱりだ!
思った通り、今までみたいに仕事はできなかったです。(泣笑)



でも・・・一方で
「赤ちゃんの相手より、仕事の方が100倍楽勝☆」とも、思ったのですよ。

赤ちゃんにこちらの都合も、スケジューリングも通用しないけど・・・
仕事の相手は大人だし、ある程度都合も聞いてもらえるし、スケジューリングもできますものね♪


そんな調子で、保育園の開園/閉園時間にぴったり合わせて
「8:45出社 / 17:30退社」 の毎日。
この生活は、通算8年続きました。


通算8年、とは・・・?


この、調査子会社時代に、
3才違いで、第2子出産しました。

5年保育と6年保育、3年オーバーラップで
「保育園通い、8年間」 です。
(2人目は現在 「外見はお父さん、内面はお母さん」な男子中学生%陸上部員です。)


2人を同時に保育園に出していた頃は、
月曜日・金曜日ともなると、
お仕事バッグ+園の昼寝布団を2組担いで、送迎してました。
(若かったから、できたことですね~>遠い目)


やっぱり私には、2人の幼児の世話より、
仕事の方が断然向いていたかな、と思います。(^^; 主婦業適性、ほぼなし。

そんな性格なので、どうにも
「17:30退社→お迎え、が必須」という制約条件は大きな壁でした・・・



仕事的には、ライセンス交渉の案件とか、
デューデリジェンス的な仕事が増えていたので、
「きーーー!もっと時間があればいいのに!」とは、何度となく思いました。

それに・・・処理件数だけでいえば、
かなりの数、仕事をこなしていたはず・・・なのですが、

「残業ができない」事も、大きなネックになっていて、
何年間か「主任への昇進見送り」となっておりました。


は~(ためいき)
こうやって、仕事もこなしているけど、
この先、小学校くらいまではずっと「育児中」ってレッテルがつくだろうから、
お給料も肩書きも、当分上がって行かないんだろうな~ なんて思ったりして。


決して「右肩上がり」だけがいいわけではないんですよ。
でも・・・、処遇的には頑張っても報われない感 が強くて、
正直、2人目出産後は、 「閉塞感」 に悩まされていたのは事実。


実務の上では「困ったら酒井に」 とか 「重要テーマは酒井に」 と言って頂いたり、
指名での調査依頼も頂いていたので、
「仕事の質を、認めていただけている」 という実感はあって、

だからこそ、でしょうか。
「でもさ・・・処遇はずっとこのままなのよね・・・?」と、
内心、ちょっぴりやさぐれたり?もしてました。
今だから、笑って 「やさぐれてたわ~」 なんて、言えますけどね。


そんな時期に、2つの出来事が起こりました。


第5話 檄が飛んだ出版話に続きます

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